断食前。断食後。

最近、誕生日を機会に断食道場に入所しました。
3泊4日。
本気の人は20日間というコースでやるらしいので本当にお試し程度。
しかしそのお試し程度の断食で、
どうやら決定的な意識変化が起こりましたので、忘れぬうちにメモ。

断食についてはものすごくたいそうな効果効能が語られていて、
どんな病気でも治ってしまうんじゃないかという誇大広告に翻弄されかねませんが、
そもそも健康じゃないとやっちゃいけない究極のストレス療法らしいです。
矛盾を感じつつも、
いやいやしかし、ここで立ち止まっていてはいけません。
とにかく前に進みましょう。

断食の3泊4日をどう過ごしたかというと、
空腹になるときはあるものの、特に辛みはなく、
短い期間だったため体に置ける不調も感じず、家事や仕事に追われることもなく
ただ、のんびりとしたらくちんな4日間だった。
それが終わって数週間のうちにじわじわと変化を感じだしました。
さて、明確な意識変化があったのは、食事に対する概念です。
断食前、
大病はないものの腰痛持ちでアトピー肌、いつもやせたい思っている私にとっては
食事とは
娯楽であり、義務であり、罪悪であった。
食べなきゃだめだと、食べちゃだめだがいっしょに存在する複雑な状況。
それはまさにストレス。
食べてもストレス、食べなくてもストレス。
食べるということに消費される精神的かつ物理的なエネルギーは大層なものだったんだろう。
食べるために生きていたといっても過言ではない。
食べる!食べたい!食べなきゃ!食べちゃだめ!
生まれた瞬間からつきまとってきたこの食欲という煩悩は、
本能の域を超えて資本主義の後押しのもとに華々しく繁栄してきた。
デパ地下における「祭り的娯楽」、格付け本による「虚栄的娯楽」、フルコースという「劇場型娯楽」、コマーシャリズムによる「刷り込み型娯楽」
あおられてあおられてこれで食べ過ぎずにいられるものか!
さらに業界の陰謀、戦後アメリカの影響、学問権威の影響によって、私たちは必須栄養接種教に犯されている。
私たちは小さいときから今に至るまで、栄養をつけなきゃいけないと教え込まれすぎた。
一日でとらなきゃいけない栄養が不足したら病気になっちゃうんだと信じ込まされてた。
朝ご飯、本当に食べなきゃだめ?
砂糖とらないと脳に悪いんですかマジで?
塩を足らなきゃ熱中症になる?
あれが体にいい、これを食べたらやせる、マジか!
、、、誰かにとってはマジかもしれません。
でもわたしにはマジじゃないんで。
ってことをしみじみと習得したのです。
水分さえとっていれば塩分すらも取らなくても大丈夫だと体感を持って初めて知りました。

しばらく食べなくたって平気だと、いやむしろ食べないことによって脳や体が休むことができるという
そのいたって当たり前なことを本当に全く以て腑に落とすことができたのです。
食べること同様に食べないことも大事。
食事に惑わされていた脳の領域(時間)の一部が解放されたのです。
ダイエットしている人が食べ物のことばかり考えてしまうのの逆パターン。
嗚呼。
そうなんです。
食べないメリットに気がついてしまったのです。
空腹と栄養不足による恐怖感がなくなり
義務感が消え、食べない機会が増えた。
そして食べ過ぎてもしばらく食べないことで問題は解消できるとなり、食べ過ぎによる罪悪感も消えた。
食べない機会が増えると、今度は食事が本当においしくなった。
最後に残ったのは娯楽でした。
(いや、娯楽という不必要性の高いものでもないので、娯楽と言い切ってしまうのは間違っているかも。)



断食後のわたしは
便秘が治った。(※断食中と直後は便秘でした)
肌が柔らかくなった。
睡眠時間が短くても平気になった。
食事が楽しみになった。
体重は微減し続けている。

そうなっている理由は断食後の食生活にあるのかもしれないので変化を羅列。
塩分の摂取を減らす。
食べたくないときは食べないようにしている。(情報ではなく体の感覚で判断。)
特に夜はご飯と言えるほどのものを食べない日もある。
果物を食べる機会が増えた。断食でそんな指導はいっさいなかったけどなんだかそうしたくなったのでそうしてる。
乳製品の接種を恐れないようになった。
ナッツをよく食べる。



著名なお坊さんにこの話をしたら
でもまたその気持ちが薄れてぐだぐだになっていきませんか?
と問われました。
ごもっともです。

常に断食のよい感覚をキープするため、
月一は意識的に空腹である日をもうけることにした。
朝:水分
昼:おかゆのみ
夜:塩分の少ない軽めの食事
そんな感じで食事に対する集中力の発揮、
まさに「精進」していきたいと思います。